●プリマコフ首相の誕生
ボリス・エリツィン大統領は、1998年9月10日、ロシア首相にエフゲニー・プリマコフを任命した。これによってロシアの政治的混乱状態は、いくらか緩和されるだろう。
エリツィン大統領は8月23日、セルゲイ・キリエンコを解任し、後任にビクトル・チェルノムイルジンを指名した。しかし、チェルノムイルジンは二度までもロシア議会に拒絶された。
拒絶が三度になれば、ロシア憲法上の危機が到来する。なぜなら、エリツィン大統領は議会を解散するだろうし、ロシア議会もエリツィン大統領を弾劾しようとするからである。
ロシア共産党党首ゲンナジー・ジュガーノフは、軍は議会側に付くだろうと話していた。
いずれにせよ、新首相が経済・社会を安定させ、新しい経済政策を打ち立てることは容易ではないだろう。
ロシア前政権は、金融規制を導入寸前であった。それは金融緩和によって、ロシア保有の金・外貨準備高が半分に減少したからである。
7月に行われたIMFの48億ドル支援も効果なく、ルーブルを防衛することはできなかった。8月17日には為替統制が発表され、ロシアが抱える負債の一部については、返還猶予が発表された。しかし、それもルーブル下落を加速させただけで、ロシアの銀行システムは破綻寸前である。
8月21日、ロシアの銀行は預金者へのドル支払いを停止した。換金危機となったため、ルーブルすら引き出せない預金者も出た。「VISAインターナショナル」は、各国支店にロシアの銀行への信用停止を命令した。
8月26日、為替規制が敷かれるに及び、ルーブルは壊滅した。
これに先立つ8月17日、ロシア中央銀行はルーブル価値を1ドル6〜9.5ルーブルと設定していた。しかし、8月26日の下落により、モスクワ為替市場は停止され、この日だけでルーブルは、ドイツマルクに対し41パーセント下落した。
9月初旬、ルーブル価値は1ドル20ルーブルにまで下がった。しかし、これはあくまで公式数字であり、実質レートでは1ドル30ルーブルであった。つまり、一月で実質80パーセント近い下落が記録されたのである。
●食料輸入の停滞
ロシアが緊急に負債支払い延期を宣言したことは、世界金融システムに大きな影響を与えた。主権国家が債務不履行を行う例は過去にもあったが、それがロシアにまで広がったのである。
ロシア金融システムは分単位で、危機を辛うじて切り抜けている。ところが、食料問題が出て来た。
ロシアは食料の40〜60パーセントを輸入に頼っており、都市部における割合は85パーセントである。ルーブル壊滅により、ロシアは食料輸入の90パーセントを行えなくなってしまった。
9月初旬、サンクトペテルブルグ行きの食料船は荷物を陸揚げできなかった。なぜなら、ロシア輸入業者が、現金、あるいは信頼できる有価証券を準備できなかったからである。
8月18日、経済紙「コメルサント・ブラスト」紙は、現在の状況を1918〜21年の市民戦争時にたとえている。当時、都市生活者は農村へ行き、自分の財産でバーター取引を行わねばならなかった。ロシア情報筋によれば、既に食料備蓄が始まっている。
1998年は干ばつと洪水が相次ぎ、ロシアの馬鈴薯収穫が大きな被害を受けている。
9月4〜9日、長期保存食料をめぐるパニックが起きた。
これにより、ルーブル下落が止まった。なぜなら、ロシア人がドルをルーブルに変え、それによって食料を買ったからである。ルーブルが買われたことにより、その価値は上がった。
サンクトペテルブルグでは9月8日、塩・茶・コーヒー・米・サモリーナ・そば粉・マッチ・洗剤・シャンプー・石鹸・トイレットペーパーを買うため、午後7時まで待たねばならなかった。卵・マカロニ・サワークリーム・練乳・コテージチーズに至っては、8時まで待たねばならなかった。輸入缶詰の果物・野菜・魚については、もう1時間待たねばならなかった。価格は一月前の4倍であった。
いくつかの州知事は9月7日、緊急食糧政策を発表し、自州食料の輸出を禁じる趣旨を述べた。
これに対し、モスクワ市長ユーリー・ルシコフは、9月10日の記者会見で「食料の輸出規制は危険」と述べた。
リトアニア国会議長ビタウタス・ランズベルギスは、カリーニングラード州への国際人道援助を呼びかけた。彼は「ロシア海軍内部に広がる飢餓危機は、国際懸念を引き起こしている」と述べている。
クラスノヤルスク州知事アレクサンドル・レベジらは、現在を「市民戦争時」、あるいは「1917年の革命時」にたとえている。そして、国家崩壊の危機を訴えている。
チェルノムイルジン政権はこれに対し、緊急経済計画を発表した。チェルノムイルジンは、この計画を9月4日・7日の上院・下院議会で公表した。彼は二度目の首相指名を期待し、「1999年1月1日から強硬経済を行う」と述べた。
しかし、この計画を起草したのはジョージ・ソロスの弟子、ロシア副首相ボリス・フョードロフである。もう一人、アルゼンチン元経済大臣ドミンゴ・カバーロも、この計画作成に関わっている。カバーロをモスクワに招待したのはフョードロフである。
チェルノムイルジンは「まず通貨を安定させ、賃金上昇を抑え、他の負債についても縮小させる」ことを述べた。それから強硬な通貨手段を敷くのである。これにより、ロシアは通貨・債権をもはや自由に発行できなくなる。
セルゲイ・グラジエフ博士は、これに「戦時経済」という皮肉な名称を与えている。その経済は国民のために敷かれるのではなく、金融組織のために敷かれるのである。
もちろん、プリマコフはこうした輩の意見など耳を貸さなければよいのだが、既にもう時間がない。そこまでロシア経済は疲弊し切っている。
プリマコフの仕事は、西側指導者の出方次第である。もし西側指導者が世界の金融システムを真の経済成長に変えていけば、プリマコフの仕事は楽になるだろう。一方、西側指導者が「自由貿易」というドグマに固執するなら、ロシアと同じように多くの国々が荒廃する結果となるだろう。
●プリマコフいわく「問題はIMF」
エフゲニー・マクシモビッチ・プリマコフは、ロシア外交・諜報機関に長年務めてきたベテランである。
彼はアラブ学者で、科学アカデミー・東洋研究所を卒業している。彼は「世界経済・国際関係研究所」(IMEMO)を長い間指揮してきた。
彼はロシア語に加え、英語・アラビア語・グルジア語を話す。
彼は1996年初頭にロシア外務大臣に任命され、大国ロシアにふさわしい外交政策に尽力してきた。その過程で、彼はユーラシア主要国との関係を重視した。
彼はまた、IMFによるロシア経済のダメージを公然と口にする人物でもある。報道では、プリマコフは経済に口出ししないという話だが、彼はルーズベルトの「ニューディール政策」こそ、ロシア経済回復の鍵であると考えている。
プリマコフは6月25日、ロンドン「王立国際問題研究所(RIIA)」でロシア情勢・世界金融市場について演説した。彼は言う。
「どうしてアジア危機がロシアにまで波及したのでしょうか?
それは、ロシア国債を購入していた人々が、主に外人投資家だったからです。アジア危機が日本・韓国といった経済的に強い国を弱体化させるに及び、ロシア国債に投資していた外人投資家はロシアから資金を回収してしまったのです。
ロシアは実質成長を遂げねばなりません。
私たちはこれまで、経済をマクロに捉えるあまり、実質成長をないがしろにしてきました。それはIMF政策に従ってのことでした。
しかし、今は過去に目を向ける時です。もちろん過去に帰ることはできませんが、アメリカから教訓を学ぶことはできます。
ルーズベルトは大恐慌時、国家措置を取ってアメリカ経済を回復させました。それは税制改革・産業保護等によってです。私たちが模倣できる分野も少なくありません。」
経済学者レオニード・アバルキンは7月20日、モスクワで記者会見を行った。それは、ロシア政府のいわゆる「危機管理方式」を批判するためであった。
ロシア政府は、IMF指示によりこうした方式を取っている。アバルキンは言う。
「ロシアには、セルゲイ・ウィッテ(今世紀初頭の改革者)やピョートル・ストルイピン(アメリカ式政治経済システムを提唱した学者)の流れ、その他の数理経済学の流れがあります。であるにかかわらず、どうしてロシアは外国の馬鹿げた経済政策を輸入しなければならないのでしょうか?
資本流出、利率の大幅引き上げがなければ、ロシアはこれほどの赤字予算を抱えなくても済んだでしょう。こうした資本流出の経緯は、エフゲニー・プリマコフ氏の業績からも分かることです。」
●ユーラシアに関するプリマコフの意見
1997年1月8日、プリマコフはタス通信とのインタビューで、次のように答えている。
「私の1996年における達成の中でも、最大のものはアジア諸国、特に中国との関係改善でした。私たちは過去の『西洋崇拝』を改めねばなりません。
ロシアはアジアや中東とも深い関係を持っており、これを生かさない手はありません。私たちはアジアの有力な国々、中国・インド・日本・ASEAN諸国と、政治対話・経済協力を強めていきます。
アメリカについては、私たちはもはや『第一敵国』とか『以前の敵国だが戦略的には同盟しなければならない』とか考えてはいません。
特に中国との関係改善は重要です。それは何も1950年代のイデオロギー的同盟ではありません。そうではなく、ロシアと中国は同じ考え方を有しています。私たちに必要なのは平等で信頼ある関係であり、21世紀に向けて長期的な戦略展望に立った関係です。」
プリマコフは1997年夏、クアラルンプールでの「東南アジア諸国連合(ASEAN)」の会議に出席した。そこでは、マレーシアのマハティール首相がジョージ・ソロス、そして通貨投機一般を非難した。
ロシアの上級戦略家は、当時次のように語った。
「東南アジアの通貨危機は、ロシアに大きな印象を与えたようだ。」
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