●フリータウンでの攻防
「彼らには計画はない。彼らはこの国をコントロール不能にしたいのである。そしてすべてを破壊したいのである。」
これが、シエラレオネ政府高官が語った革命統一戦線(RUF)の性格についての的確な見解である。
RUFは、1999年1月の最初の週にシエラレオネの首都フリータウンを占拠し、町を破壊した。しかし、RUFは、ナイジェリアが優勢を占める西アフリカ諸国経済共同体停戦監視団(Ecomog)の連合軍によってフリータウンから排除された。
フリータウンに入るに当たっては、RUFは、副司令官サミュエル・ボカリの言葉を忠実に実行した。ボカリは1998年11月18日にこのように宣言していた。
「私がフリータウンを乗っ取ったら、私はあらゆる生き物と建物を一掃する。神に誓って私は戦う。私は殺戮を繰り返し、やめてくれと言われれば言われるほど、私は彼らを殺すだろう。」
RUFはフリータウンを包囲してフリータウンに攻め入ると、警察本署を破壊し、電気と水の供給を断ち切り、電話線を切った。人々は家から出され、RUF軍の前に整列させられて盾にされた。
Ecomog連合軍は、ナイジェリア、ガーナ、ギニアの軍隊で構成されていた。軍の指揮を取っていたのはナイジェリアだが、ナイジェリアはRUFを排除するために、フリータウンへの援軍を急がねばならなかった。
現在、シエラレオネでRUFと戦っているナイジェリア軍は1万7000だが、ナイジェリア軍はここ9ヶ月の間に、高性能の強力戦闘装備を入手していたのである。
イギリス諜報機関はアフリカに猛攻勢をかけているが、RUFが行った攻撃は、イギリス諜報機関がアフリカに放った殺人破壊軍隊そのものである。
イギリスのアフリカ攻勢は、冷戦も終わりに近い1989年に開始されたものだった。その目的はアフリカ国家の破壊であり、アフリカ大陸の完全な略奪の障害となるどんな団体も、障害となる可能性のある団体も含めて叩きつぶすことであった。
●RUF:恐るべき記録
RUFはニヒリズムの勢力である。
リーダーのフォディ・サンコーは、シエラレオネがイギリスの植民地だった時代に、イギリスに訓練された人物である。サンコーはリベリア大統領チャールズ・テーラーと同盟を組んでおり、RUFはそこから誕生した。
RUFは首尾一貫して恐るべき人権侵害を行ってきた。RUFは、一時的に支配した村や町の住民を大量虐殺し、子供を大勢誘拐して強制的に麻薬常習者にさせたり、自分の親族を殺させる訓練をしたりするのである。
このような人集めの方法は、テーラーのリベリア国民愛国戦線(NPFL)が使った方法と同じである。
RUFは、軍事攻撃に対しては市民に対する報復という形で応答する。これも、ルワンダとブルンジに住んでいるロンドンのツチ族が使った主な方法である。
RUFが行った攻撃の最近のものは1998年11月に開始された攻撃であるが、RUFは11月に東部のトンゴ平原ダイヤモンドエリアの住民100人を殺し、翌日にはグベンデンブで96人を殺した。
この戦争でRUFが市民への処刑として使ったのは、殺す、傷を負わせる、手足を切り取るというものだった。彼らは、こうすることは政府に対する思いやりだと信じていた。
RUFは社会学的な現象ではない。
確かに、シエラレオネは1980年代と1990年代の初めには、アフリカで最も貧しい国だった。ルワンダの大虐殺が起こる前には、シエラレオネの平均余命はアフリカでは最低だった。
1991年以降はシエラレオネは内戦に悩まされたが、1996年3月には全国的な選挙が行われた。その結果、世界銀行の役員アフマド・カバーが大統領に選ばれた。しかし、その選挙による“休息期間”の間に、パリクラブの“ドナー諸国”によるシエラレオネ復興の努力は見られなかった。
予想通り、戦争は再開された。1997年5月、RUFが扇動し、支援した軍事攻撃によってカバー政権は倒された。総力戦が1年ほど続いた後、Ecomogはやっとのことで攻撃の首謀者を破り、サンコーを投獄した。
カバーはフリータウンで再び大統領に就任した。一方、RUFはダイヤモンド鉱山を占拠し続け、鉱山の利益を使って反乱を煽った。しかし今回も、戦争でずたずたになったシエラレオネに対して、ドナー諸国は復興のための力は貸さなかった。
金はRUFに流れ続けていた。
1998年の後半、RUFは重装備の武器を譲り受けた。その中には大砲も含まれており、ナイトゴーグルやセルラー電話などの高性能品もあった。セルラー電話は、司令官の連絡用に使われる。
10月と11月、元RUF臨時政府のメンバーが裁判にかけられて処刑された。これがきっかけとなって、RUFはシエラレオネの北東部で武装蜂起し、フリータウンに行軍を始めた。
RUFは、チャールズ・テーラーのリベリアの援助を受けており、武器もリベリアから入手している。さらにRUFは、ブルキナファソとリビアからも援助を受けるという逸脱行為を行っていると思われている。
12月下旬、テーラーは直接指揮をとって、シエラレオネの国境に大軍を終結させた。テーラーは1989年から91年の間にサンコーの援助を受けて大統領となったが、その時に、次はテーラーがサンコーを助けるという合意がなされたのであった。
西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の会議で、シエラレオネの危機について討論がなされた時、テーラーはEcomogの司令官長ティモシー・シェルピディと真っ向からぶつかった。シェルピディはテーラーに警告し、このように言った。
「テーラーが自国の軍隊を使って戦争を拡大するなら、シエラレオネの内乱は終結しないだろう。内乱は他の国にも広がりつつあり、周辺区域の国全体にも影響が及んでいる。」
1億人以上の人口を持つナイジェリアは、ロンドンのテーラー&サンコー作戦の主なターゲットなのである。
●イギリスの援助
イギリス政府は公式にカバー政権を支援しているが、イギリス諜報機関の一部はRUFを支援している。
BBCも支援団体の一つで、BBCはリベリア戦争の間、テーラーのニュースや宣伝に関して直接援助した。また、アムネスティ・インターナショナルから派生したインターナショナル・アラートも支援団体である。
インターナショナル・アラートの役員団体であるロード・アヴェベリーは、1997年から98年の戦争の時に、イギリスがカバー政権に軍備を提供することに先頭に立って反対した団体の一つであった。インターナショナル・アラートのオムリー・ゴリーは、シエラレオネのバックにいるイギリス人で、RUFの直接のアドバイザーを務めている。インターナショナル・アラートは、RUFの国際宣伝部門の機能を果たしている。
サンコーは、国への反逆罪を問われている裁判で、自分の弁護士にイギリス人チャールズ・バックリーを雇っている。バックリーの会社には、元保守党外務担当閣外大臣ダグラス・ホッグがいる。
イギリス諜報機関の援助は、“ノンリーサル(非殺傷)”の援助に限られたものではない。
ロンドンの『サンデータイムズ』の『インサイト』のコラムによれば、RUFは、イギリスの会社スカイエアー・コンゴとアクシデンタル・エアウェイズを通じて物資を入手しているということである。
武器はガンビア、リベリア経由でシエラレオネの秘密の滑走路に入っている。聞くところによると、武器はスロバキア共和国から入ってくるとのことである。
もしRUFがフリータウンを乗っ取り、シエラレオネを“統治”するのに成功したら、西アフリカで戦争が始まることを意味する。
西アフリカのある情報通の情報筋はこのように語った。
「もしそうなったら、ギニア、マリをはじめとして、西アフリカ全体が爆発するだろう。」
●多くの戦争
シエラレオネでの戦争は、イギリス枢密院がアフリカの国家を破壊するために起こす戦争の一つの前線にすぎない。
1989年、チャールズ・テーラーは、サンコーと共にリベリア乗っ取りを始めた。またその年には、イギリスとアメリカが援助してソマリアのシアド・バーレ政権を倒し、ソマリアを無政府状態と食糧不足に陥れた。ソマリアは、その状態からいまだに立ち直る気配もない。
東・中央アフリカでは、アフリカ諸国を破壊しようというイギリスの攻勢は、ウガンダの軍事独裁者ヨウェリ・ムセベニに集中している。8月、ムセベニは、ルワンダと共にコンゴ民主共和国を侵略した。この戦争は、地域全体をただちに大混乱に巻き込んだ。
西欧諸国は、ウガンダとルワンダが、鉱物資源の豊富な東コンゴを占領するのを不注意によって大目に見たので、コンゴ民主共和国のローレン・カビラ大統領は、直ちにナミビア、アンゴラ、ジンバブエ、チャドの軍事援助を勝ち取ることができた。
これらの国の指導者たちは、ウガンダとルワンダが国境線を武力によって混乱させたことは、アフリカ大陸全体の安定に対する脅威だと考えたのであった。
1999年1月11日の『ニューヨークタイムズ』は、「コンゴはアフリカの国境線を武力で引き直すという先例を作るだろう」と予言した。
「コンゴ戦争が始まって5ヶ月になるが、そこでは古い慣習の根本的な作り直しが行われているのかもしれない。……
アフリカの国境線は、1世紀前にアフリカ大陸を植民地化したヨーロッパ人が勝手に引いたものだが、この国境線は不可侵のものと考えられている。しかし、現在コンゴは二つに分かれており、多分永久に分かれることになるだろう。……
世界中の外交官は、そう遠くないうちに本格的な地域戦争が始まるのではないかと心配している。……
専門家の多くは、『もっと長い目で見れば、コンゴ戦争は、古い慣習のもとでは不可能だったような方法で、アフリカ諸国が自分自身をとらえ直すことを始める出発点となるかもしれない』と言っている。国と国との戦争は、1960年代にアフリカ人が独立し始めてからほとんどなかったが、今後は珍しいものではなくなるだろう。
ある専門家は、『紛争が高まるにつれて、1世紀の間アフリカ諸国の境界を定め、ある程度の安定を与えてきた国境線は、徐々に崩壊し始めていると思われる』と語っている。」
この予測は正確だが、真実は語られていない。
この流血の再編成を駆り立てている力は、アフリカ諸国のものではない。この力は、“ドナー国”政策を支配し、イギリスを中心に集まっている個人的利益集団から来ているのである。
略奪と侵略の辺境領主ムセベニは、12月にパリクラブから22億ドルの寄付金を支援金として与えられた。この金は、ムセベニがコンゴ、そして現在はアンゴラで行っている戦争を煽るためのものである。
ムセベニは、ジョナス・サビンビのアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)を支援するために、最も高度に訓練された軍隊をアンゴラに送っている。
1999年1月14日、タンザニアの『デイリー・メール』は、ウガンダとルワンダの軍隊が東コンゴのキブ地方を占領し、現在も占領中であることの経緯について報道した。
そして、コンゴ民主共和国大統領ローレン・カビラを倒すために戦っている反乱軍の主な資金の出所は、採鉱会社10社であると報道した。
その記事によれば、キブ地方で採鉱を行っている10社は以下の通りである。
まず、ブシコであるが、この会社は、ムセベニの妻とムセベニの片親が違う兄弟サリム・サレーが一部所有する会社である。
そして、リトルロック社、サポラ社、インターマーケット社(重要)である。これらの会社の大部分の株を所有しているのは、サンジバン・ルプラーというイギリスの市民である。ルプラーは、エグゼキュティブ・アウトカムズの創立者トニー・バッキンガムと他のプロジェクトを行っている人物である。
また、バリック・ゴールド社は、株主の一人が元アメリカ大統領ジョージ・ブッシュである。
そして、オーストラリア・ラッセル資源グループのオーナーは、イスラエル人元陸軍将軍ダビド・アグモンである。アグモンは現在ムセベニの顧問を務めている。
イギリスとのこの連鎖関係は、コンゴ反乱軍への武器の流入の背後に存在している。
元イギリス空軍パイロット、クリストファー・バラットジョリーは、公式にウガンダとルワンダに空輸する予定になっていた兵器を、ウガンダが支援する反乱軍に届けるために、ゴマとキサンガニへ直接送ったという理由で告発された。8月にスカイエアーが反乱軍とウガンダ軍兵士を、コンゴ侵略のために飛行機で送ったという事実が確認された。
さらに、ウガンダ軍のための装甲兵員輸送車が、ボツワナからコンゴのゴマに船で送られていることも確認された。
このような一味と支援者グループは、南アフリカのイギリス傭兵と秘密の兵器ネットワークにも関係しており、12月にサビンビのUNIAが行ったアンゴラ攻撃の背後には、この一団がいるのである。
言うまでもなく、ターゲットになった国の市民のことなどは、考慮に入れられていない。彼らの抵抗運動は、情け容赦ない扱いをされている。
1998年12月31日、コンゴのウビラ郊外にあるマコボラのマイ・マイ村で、ルワンダ軍が、男性、女性、子供を含めて500人を虐殺した。このような事実がそれを証明している。
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