●ロシアの最終的な態度表明
1999年3月15日にコソボ和平会談が再開されるほんの3日前、ロシア外相イーゴリ・イワノフは、セルビアの首都ベオグラードの記者会見でこのように述べた。
「セルビアの独裁者スロボダン・ミロシェビッチは、『コソボに外国の軍隊や警察が駐留することは絶対に許さない』と、決然と最終的な決定を下した。」
さらにイワノフは、「NATOがセルビアに対して行っている空襲の脅威は、受け入れがたいものがある。コソボを巡る対立は、平和的に解決すべきである。以上が、ロシアの見解である」と述べた。
バルカン半島に注目する人たちの間で、ほぼ見解が一致していることがある。それは、ミロシェビッチ大統領ではなくて、もっと重要な問題だが、ロシア自体が“決然と最終的な”態度を取ったのだということである。
それと同時に、モスクワでは、ロシア軍の“外相”レーニード・イワショフ将軍が新たな軍拡競争の亡霊を持ち出していた。
アメリカと日本の間で“ならず者”諸国家に対する戦域ミサイル防衛(TMD)についての論議が行われたが、イワショフはそれを否定し、「そのようなシステムを設置しようとするなら、ミサイル競争を誘発することになる。……そして、極東の安定は崩れるだろう」と述べた。
イワショフがこのような発言をしたのは、ロシアの副外相がTMDについて話し合うために、中国に向かっている最中であった。
一方、NATO最高司令官ウェスリー・クラークは、BBC放送を使って「NATOは、セルビアを攻撃する大規模な飛行部隊の準備は整っている」と述べ、警告を与えた。
クラークは、「NATOは、ミロシェビッチに大打撃を与えるような一連の攻撃を行う能力も手段もある」と言った。
これまでに、ヨーロッパ全体の再軍備と、コソボにイギリス緊急対応軍を送ることを呼びかけた声明は多くあったが、特にイギリスが行ったものとしてはこれが最も最近のものである。
戦略的軍事対立の諸要素は、日に日に増幅している。バルカン半島情勢が、世界をこのように瀬戸際に追いつめたのは、第二次世界大戦以来初めてのことである。
●外交は失敗:“激突への道”
パリ郊外のランブイエで行われたコソボ和平会談の前にも、最中にも、その後にも外交的な話し合いがなされたが、どれも何の成果も生まなかった。ランブイエ和平会談は2月23日、何の成果も上げられず、混乱のままに幕を閉じた。
イギリス外相ロビン・クックと、和平会談の副議長を務めていたフランス外相ユベール・ベドリヌは、最終合意の草案を用意し、派手な誇示をしながらマスコミにそれを渡した。唯一の問題は、セルビア代表団もコソボ代表団もその話には合意せず、会談が3月15日に延期されたことだった。
ベドリヌ外相は、次の会談では合意に達するだろうということを強調した。コソボ代表団は、クックとベドリヌの草案に、一週間のうちに署名することを期待されたのであった。
しかし、その直後に起こったのは、コソボ解放軍(UCK)の分裂だった。
強硬路線を主張するグループが、「ランブールの和平会談で、コソボに独立がすぐに与えられなかったのは、コソボへの“反逆罪”だ」と決めつけ、無制限“解放戦争”を呼びかけたのである。
駐マケドニアアメリカ大使クリストファー・ヒルらが交渉に当たったが、失敗に終わった。
その後、国務長官マデリン・オルブライトが、より一層の努力を行い、当てになると思われるコソボの指導者たちに圧力をかけた。特に、ランブイエでコソボ代表団の団長だった29歳のハシム・チャシがその対象となった。
オルブライトは、チャシを公の場でしょっちゅう称賛した。“コソボのジェリー・アダムズ”と呼ぶことさえあった。オルブライトは、NATO最高司令官クラークをランブールに行かせ、地方のカフェーでチャシとの“サミット”を行わせた。
ホワイトハウスは、元アメリカ上院議員ボブ・ドールをコソボに送り、チャシとコソボ解放軍を説得して、草案に署名させようとした。チャシは、署名する約束をし、さらに国民に発表さえもした。ドールは、「率直に言えば、私はコソボ人の態度には少々うんざりしている」と言った。
他方、ミロシェビッチの方は、おそらく東と西の対決ムードを感じていたと思われるが、外国の軍隊がコソボに入るのを考えることさえも拒否し、さらに、ロシアに強く要請して、防衛に来てもらうことも可能だと言った。
ユーゴスラビア軍とミロシェビッチの“特高”は、組織的なコソボ解放軍の抵抗運動を一掃するように命令を受け続けていた。
軍事行動は、エスカレートしていった。特に、コソボとマケドニアの国境沿いがひどかった。
見ていた人の話によれば、戦車や巨大な大砲が、選定された町や村を攻撃し、新たな難民が続出させているそうである。3月には、ほんの数日で約4000人の難民が出たとのことである。ミロシェビッチの軍隊は、民家を略奪し、火を放った。
これらは間違いなく犯罪行為である。しかも、ランダムに行われているわけではない。彼らは、綿密な軍事計画に従って行っているのである。
そのような行動は、特に、マケドニアからやって来ると思われるNATO軍と衝突するための準備として計画されているのである。
また、ミロシェビッチがヒル大使と会うのを拒否した後に、ミロシェビッチに会いに行った“特別交渉者”がいた。ボスニアで仲介役を果たし、デイトン合意を成立させたリチャード・ホルブルックが、特別公使としてベオグラードに送られてきたのであった。
3月10日、ホルブルックはミロシェビッチと8時間に渡る会談を行った。その会談の終わりの時に、ホルブルックはマスコミにこう語った。
「事態が変化しなければ、我々は激突への道を歩んでいる。そして、本日ここで行われたことは、事態を変化させはしなかった。」
●ブレアの“突撃の叫び”
ロシアは、コソボで何をすべきかということについて、クックとベドリヌに賛成していた。少なくともこのことは、NATO加盟国すべての間で共有されていた。
しかし、コソボとベオグラードで最近起こった出来事は、そのようなあいまいさを排除した。ロシアは、打って変わって、武力を行使することに反対する立場を繰り返し表明した。
この姿勢は、「汎スラブ主義と正教会は兄弟分だから、ロシアとユーゴスラビアはつながりがある」というような、表面的な説明を越えるものだった。1995年にNATOがボスニアのラドバン・カラジッチの軍事施設と、軍事機材を部分的に無力化させた時にロシアが取った態度とは、別のものであった。
このようなロシアの姿勢は、戦略的な検討が十分なされてのことであり、何よりも、主にイギリスがけしかけている“ニューNATO”という役割がそうさせているものと思われる。
このような意味では、バルカン半島情勢は、イギリスが主導するこの新たな“グローバル化”した“戦争マシーン”の実験であると思われる。
3月8日から10日にかけて、ロンドンでNATO50周年の大会が催されたが、その時イギリス首相トニー・ブレアが演説をした。ブレアは、バルカン半島で開幕となるべき自説の“グローバルNATO”モデルを再び打ち出した。
その大会を企画したのは、世界最古の軍事大学と自称するロイヤル・ユナイテッド・サービシーズ・インスティテュート(RUSI)であった。RUSIは、ウェリントン公が創設した大学であり、現在はエリザベス女王2世のいとこであるケント公が学長を務めている。
ケント公は、イギリス・メーソンリーのグランドマスターである。RUSIは、女王がパトロンであることを誇りにしており、女王がこのように述べたと言っている。
「私は、平和と安全のために、何が価値のある仕事であるかを知っています。RUSIは、軍隊と、経済的・政治的修練を積んで、決定を下す立場にいる人たちとの重要なつながりを保つ役割を果たしています。」
ブレアの介入は、ヨーロッパに対して、イギリスのリーダーシップのもとでの“突撃開始”の叫び声を上げたようなものである。もちろん、ミロシェビッチ一族を援助するというイギリスの役割は忘れてのことである。
ブレアは、ヨーロッパ諸国の代表者に向かって、軍事力介入をほのめかすような新しいNATOの“武力外交”のレクチャーをした。ブレアは、次のように言った。
「現段階のヨーロッパの軍事力は、控え目である。控え目すぎる。ほとんどの同盟国の軍隊は、1990年代と21世紀の安全保障の問題に対処できるような移行が行われていない。
NATOを強化して、ヨーロッパを現実に防衛できるようにするためには、我々ヨーロッパ人は、我々の防衛力を再建する必要がある。そして、我々が武力を発動させ、軍隊や戦艦、戦闘機を彼らの本拠地を越えて配備し、駐留させることができるようにするのである。その軍隊は、いかなるレベルの紛争に直面しようとも、対処できるような装備がなされていなければならない。」
ブレアが描いているような、“新たな帝国の利益のためには、地球のどこへでも直ちに配備できる”ような戦争マシーンのビジョンは、もちろんすでにイギリス緊急対応軍が実現していた。
2月14日のロンドンの『インディペンデント』で、ブレアは似たような長い演説をぶっている。
「コソボに配備される軍隊は、イギリス主導のNATOの緊急対応軍、ARRCをベースにしたものになると思われる。
ARRCは、NATOの中で最も洗練され、能力のある派遣部隊の一つである。ARRC本部の大部分は、イギリスの寄贈によるものである。……ARRCの司令官サー・マイケル・ジャクソン将軍は、優秀なイギリス陸軍士官である。
彼は、(コソボに配置される)連合軍の司令官を務める予定である。今回のような和平合意の勢いを保つためには、このような軍隊を展開配備する準備を行うべきである。つまり、かなり早いうちから集結させておく必要があるということである。
軍隊がすぐに現地へ向かえるようにスタンバイさせているのは、このような理由からである。また、先週イギリスが、運搬手段や機材を前もって配備し、軍隊が展開する際の核にするという決定を行ったのも、同様の理由である。」
ブレアはさらに言う。
「我々は、ボスニアの最初の頃に犯したような過ちをコソボで繰り返すことはないだろう。我々は、ヨーロッパ大陸の一部が戦争によって荒廃するような事態は許さない。」
かくしてヨーロッパは、イギリスの例に倣って軍隊の準備をしなければならないのである。
●イギリス国防相もブレアに倣う
イギリス国防相ジョージ・ロバートソンは、その後の演説で、ブレアが行った“帝国的宣言”をそのまま繰り返した。ロバートソンは、バルカン半島の人々の苦しみに対して、涙を流した。それは偽善の涙ではなかった。
ロバートソンは、次のように述べた。
「NATOの基本的な仕事は、単なる集団防衛以上のものである。NATOは、NATOの範囲外の地域の安定にも貢献するような平和維持活動を行うことに合意してきた。
……今日、NATOが背負わなければならないであろう使命の範囲の広さは、驚異的である。その使命は、我々の軍隊に対して非常に多くのことを要求している。
……イギリスでは、我々は好んでこのように言っている。
『平和を維持するのに巧みであるためには、まず戦争において巧みでなければならない。』
……ここイギリスでは、今日の軍隊に必要であるものは、“力量”の集合であると認識されている。柔軟性、持続性、機動性、耐久性、相互運用性などである。軍隊は、必要とされる場所にはどこへでも展開できなければならないし、戦略上の機動性があって、すぐに現場に必要機材を持っていけるようでなければならない。」
ブレアとロバートソンが推奨したような軍隊は、今まさに行動を開始すべく、マケドニアで待機しているのである。ARRCのトップであるサー・マイケル・ジャクソン将軍が明らかにした通りである。
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